日本には神様も仏様もいて、
お葬儀も神式・仏式がありますね。
地方によっては両方がミックスされたようなお葬儀のしきたりのところもあります。
実はお経の中にも神様は度々出てきます。
先日読んでいて面白いなぁと思ったのが、「法句経」の中のこんな話です。
祇園精舎はスダッタという長者が
お釈迦様と弟子たちのためにたてたものですが、
まさに私財を投げ打ってのことだっただけに、
スダッタ長者も急激に財産が減ってきてしまいました。
おまけに川岸にあった蔵が洪水で流され、
ますます困窮してきてしまったのです。
それでもスダッタ長者は
お釈迦様と弟子たちへのお布施を続けていました。
そこで困ったのが長者の蔵にいた女神です。
自分の住処がなくなるのではと、必死に長者にお布施をやめるよう勧めたのです。
しかしスダッタ長者はガンとして聞き入れず、
逆に女神を「そんなことを考えているのなら出て行ってくれ」と追い出してしまいます。
女神は次のすみかを探しましたがなかなか見つからず、
神の王である帝釈天に、スダッタ長者のもとに帰れるよう、とりなしを頼みました。
帝釈天は「お釈迦様の邪魔をするような愚かなことをしたものだ。
もし帰りたいなら、
今すぐ長者が商人たちに貸しているお金を集め、洪水で流された財産を探して
スダッタに戻し、許しを請いなさい」とアドバイスするのです。
女神はその通りにし、スダッタ長者は以前のような大富豪となり、
ともに、お釈迦様の説法を聞くことができた・・・という話です。
いろんなことを考えさせられる話ですが、
一方で、とても人間臭いというか、人間に近い神様たちが面白いなぁと思います。
この記事を書いた人
株式会社AZUMA代表取締役
ご葬儀は、故人から遺された方たちへの最後のあいさつの場であり、そして贈り物です。そこに集う人々がこころゆくまでお別れができる葬儀を常に探究。コラムやYouTubeなどでも葬儀に関する解説などを積極的に配信しています。