僕の一番忘れられないお葬儀
先日は僕の「二番目に」忘れられないお葬儀の話をしましたが、じゃ、一番は・・というと、やはり父の葬儀ですね。
もう20年近くたちますが、その参列いただいた方の多さもそうでしたが、僧侶の方に関係者のみなさんのお心配りは普通ではありえないほどで、それに驚くやらありがたいやらでした。
人生の縮図ともいうお葬儀。
いまとなっては本当にあの式の様を思い出して、自分はああなれるだろうかと身の引き締まるお葬儀でもあります。
伝説の葬儀屋のものがたり 父の葬儀
創業者である親父は、群馬の農家から単身出てきて葬儀社をつくり、自社ビルを建て・・・と仕事、いやお葬儀一筋に走り続けてきました。
お葬儀には土日もありません。
子どものころ、家族旅行は1度きり。
よく友人の家族旅行に一緒に連れて行ってもらった記憶があります。
さびしくなかったと言えばうそになりますが、そんな両親は誇りでもありましたし、大学を卒業したら葬儀屋になることを、僕は自然に決めていました。
僕がアズマの社員になったのはこれまた父の選んだ他の葬儀社でのややキツ目の3年間の修行期間を終えてからのことになります。
今現在私の知るところでは、東京都には5つの葬儀組合がありますが、当時、父は多摩の組合の2代目の理事長になっていました。
同業に自社の祭壇を貸してあげたり、忙しくなってしまった同業の仕事をタダで請け負ってあげたり・・時にはそんな形で他の同業者にさりげなく恩を売ることで、自分の思うようなお葬儀を実現できる関係をあちこちに築きあげていました。
さあ、これでやっと父の葬儀社で仕事ができる!と思った矢先、父は倒れました。
周りの状況がわかってはいるけれど飲み込めないまま、僕は葬儀の場で頭を下げていました。
法専寺の境内は人であふれ返っています。
通夜には各寺院のご住職が見えて、それぞれ読経をあげてくださる姿に驚きました。
火葬は他の葬儀社さんたちのはからいで、午後3時の時間帯はうちの父だけでした。
・・・通常は1日7回×窯の数だけ火葬があり、ご遺族同士が顔を合わせることになりますが、他の葬儀社さんたちが、他のご家庭の火葬を前後に調整くださっていたのです。
あとから名簿をみると会葬者は2日間で1500人をゆうに超えていました。
父の偉大さを改めてひしひしと感じながら、僕は入社後半年で社長に就任することになるのです。